『養老孟司の〈逆さメガネ〉』養老孟司
養老孟司さんの本は、確か小学生か中学生のときに「バカの壁」を読んだのが初めだったと思います。
ただ今回は「逆さメガネ」という本です。本書は教育という題材をとおして、物事の見方や考え方について書かれています。
たまたま本屋で手に取ったのですが、不思議と今の自分にちょうどいい本でした。
ちなみに養老先生(と、勝手に呼びます笑)は1937年生まれで、私より50年以上も年上です。
よって考え方や経験は大きく異なり、非常に興味を惹かれます。1937年なんて第2次世界大戦の前ですからね。戦争が教科書の中のものとして育った私とではまったく感じ方が違います。
ちなみに人は基本的に、自分の経験に基づいてでしか物事を考えられないのだと常々思っています。
なので、自分の生まれる前の出来事については経験することはできませんし、その経験に基づいた考えをすることはできません。
しかし、その人達が書いた本は読むことができる。読んで考え方を知ることできる。
実際の体験には及ばないのは当然ですが、少しでもその方達に近づくことはできる、そう思うとなるべく自分と遠い人の本を読んで、視野を広げたいものです。
と、前置きが長くなってしまいましたが、本書はそんなところから手に取りました。なお、内容については冒頭に養老先生はこうの書かれています
本というのはしばしば間違っているものだということです。そこは忘れないでください。
私のいっていることがすべて「正しい」などと思われたら大変だから、余計なことですが、付け加えておきます。
私が書いているのは、議論の種であって、ご託宣ではありません。
『養老孟司の〈逆さメガネ〉』養老孟司
ご託宣とは、神のお告げのことのようです。養老先生の使う言葉は難しい。。
あくまで、「こんな考えもあるけど、あなたはどう考える?」といった養老先生からの問いかけです。なので、この記事を読んでくださった方も一緒に考えていただければと思います。
今回の記事は、こんな方におすすめ
・合理的な思考の方
・子供が産まれる予定の方
概要
本書は第1章~第7章で構成されています。
まえがき
第1章 現代人の大きな錯覚
第2章 都市化社会と村社会
第3章 身体感覚を忘れた日本人
第4章 大人の都合と子供の教育
第5章 変わる自分、変わらない自分
第6章 人間が幸福にならない脳化社会
第7章 ふつうの人が幸福に暮らせる社会
エピローグ 男と女は平等か
今回の記事の内容としては第一章から記載していきたいと思います。
内容について
なぜ「子どもは自然」なのか?
いま教育を考えるときに、一番大切なことは、なんでしょうか。それは、子どもは人間が意識的に作ったものじゃないということ、つまりは「自然」だということです。
『養老孟司の〈逆さメガネ〉』養老孟司
最初はいまいち言っていることが、よくわかりませんでした。ただ読み進めていくと、私の中で「子どもは自然」これがキーワードとして、私の中に残りました。
これは、「自然」の反対は「人工」、「人工」とは人間が「意識」で考えたことだと養老先生は言っています。
「人工」の例えとされていのは都会のホテルです。ホテルで虫が出たら人は怒る。それは人が人口的につくったものに、意識していない自然なもの(虫)が現れたからだと。
ちょっと難しいですよね。。
この後を読んでいくと、もう少しわかるのですが、あなたは子供を意識して作った「人工」のよう考えていませんか?養老先生はそう問いかけているのです。
確かに、僕は子供を妊娠できるタイミング、生まれる月等計算していましたので、どこか子供を「人工」的なもの、コントロールできるものとして捉えていたのかもしれない。そう気付かされました。
ただ、一方で現代の人からすれば、計画的なこと、人工的なことが当たり前になりすぎて「自然」という感覚が理解できるのかなと思いました。
親は産んだつもり、子どもはひとりでに生まれたつもり
いまの親は、子どもを作るか作らないか、そこから考えて産むのがふつうです。いっておきますが、昔は子どもは「授かりもの」だったんですよ。いまの親は、授かったなんて思いもよらない。
~中略~
いまの人は、暗黙のうちに子どもは「意識の産物」だと信じているんですよ。でもそれは話が違います。どこが違うか。子どもの立場から見ていないんです。
『養老孟司の〈逆さメガネ〉』養老孟司
先ほど書いた通り、私も考えてから子どもを作りましたので、授かりものとはちょっと違う感覚を持っていました。
子どもの立場から考えたみたこと…なかったかもしれません。
少し養老先生の問いかけに従って考えてみると、私は自分の親に産んでくれと頼んだわけではないし、気がついたら産まれてここにいた、ということになるでしょう。
そうすると、子どもからすると自分は「意識の産物」ではありません。これが養老先生のいう自然なのでしょうか?
また産まれた時点ではどうなろうとか、どういうことをしようとかそんなことは考えていないので、「自然」なのかもしれませんね。
ブラッシュアップライフのように、目的をもって2度目の人生を送るわけではないですから。笑
コントロールできるという錯覚 ——親子の根本的対立
子どもにしてみれば、気がついたら産まれているわけです。でも大人の方は、子どもが生まれることについて、ありとあらゆる面をコントロールしているつもりです。
~中略~
ところがそのコントロールつまり「つもり」は、生まれてくる子どもにとっては、なんの関係もないことです。
『養老孟司の〈逆さメガネ〉』養老孟司
というところで、養老先生が言いたいのは「親子ではそもそも認識が異なる」それを認識してみてはどうか?ということだと感じました。
そのコントロールしている「つもり」が「つもり」であること、親としてはそれを理解しておかなければならないと。
仕事では、合理的にものを考えてしまいがちですが、子どもに関しては「自然」であると忘れずにいようと思います。
また、つい何でもかんでもコントロールできてしまうという錯覚に陥ってしまうのは、今の私が自然から離れてしまっているからなのでしょうか?世の中に人工のものが増えたから?
50年しか変わらないのに養老先生とは大きく感覚が異なるのは、なぜなのでしょうか。
横道に逸れてしまいましたが、例えば、子どもが寝るべき時間に寝なくとも、子どものために買ったおもちゃが使われなくとも。それは「自然」だから。
終わりに
子育てが始まったのは、おそらく数千万年前から数億年も前ですが、われわれの脳つまり意識ができたのは、たかだか二十万年前ですよ。
その意識が子育てを完全に左右できるはずがない。
「ああすれば、こうなる」で育てて、子どもが上手に育つんなら、とっくにそうしているはずです。でもそれがうまくいかないことは、経験的によくわかってることでしょ。
今までどれだけの人が英才教育、天才教育をやってきたか。
『養老孟司の〈逆さメガネ〉』養老孟司
僕の勝手なイメージですが、育児関連の本は、「ああすれば、こうなる」といったハウツー本ようなものが多いかと思います。
そういった本ももちろん参考にはなるのですが、子どもは「自然」、根本的に親子で認識が異なるのだから合理的な考えだけではうまくいかない、そういった見方もできるといいのではないでしょうか。
その自分主体の正しさ、つまり「メガネ」をときには逆さにして考えてみましょう。
というところで、特にまとめはありませんが、どうでしょうか?お子さまのいる方、これから親になる方、自分とは違う価値観を持った方のご意見を聞いて思うところはありましたでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました!
コメント